From:北岡秀紀
「オレは部下を信頼している」
こう豪語して、経理を始め、お金の入出金まで全てをあるスタッフに任せている社長がいました。
この社長の会社に3年ほどコンサルティングに入っていたのですが、その間、私は「経理か入出金のどちらかを別の人に変えてください」と言い続けました。
経理と入出金を同じ人がやれば、帳簿をイジってお金を抜く、なんてカンタンにできてしまうからです。
しかし社長は冒頭の「オレは部下を信頼しているから」の言葉を繰り返し、「制度を変えたら信頼を裏切ることになる」とそのまま続けてしまいました。
私がコンサルティングから抜けてから2年後のこと…
案の定このスタッフがン千万円を横領が判明しました。
「信頼していたのに…」と意気消沈する社長。
しかし、それは果たして信頼なのでしょうか?
疑わないということは一見すると信頼しているように見えます。
しかし、疑わないということは相手のことを知ろうとしていない、ということと同義です。
徹底的に疑うからこそ、知る努力をし続けることになります。
そして、知れば知るだけ信頼が生まれます。
さらに人というのは弱いもの。
どんなに良さそうな人でも「魔がさす」ということがあります。
だから、悪いことをするかもしれない。
その前提で、悪いことができないような仕組みを作ることです。
今回の例でいけば、経理と入出金の担当を分けていれば起こらなかった問題です。
その意味で、スタッフを犯罪者にしてしまった社長の責任とも言えます。
結局、会社なんて他人の集まりです。
いくら社長が「社員は家族」だと言っても給料を払わなければ部下は去っていきます。
志とお金だけで繋がっている関係に過ぎません。
血の繋がっている関係でも犯罪が起こります。
他人であればなおさらです。
「性悪説で仕組みを作り、性善説で付き合う」
これが会社の仕組みの前提条件です。
-北岡秀紀
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