From:藤岡将貴
「盗まれるのが嫌なら席にもっていけ」
これは、僕が京都に行った時に食事した和食料理店で言われた言葉です(実際にはもう少し丁寧な言葉ですが、意味としてはこんなことを言われました)。
ダイレクト出版に入るまで住んでいた静岡からは遠くて滅多に行けなかった京都。でも、今では電車で1時間で行ける距離。ちょっとしたプチ旅行にはちょうどいい場所です。そして、お酒と美味しい料理が好きな僕は、せっかく京都に行ったんだからと、日本酒と京料理が美味しそうなお店を探して、とある一軒のお店に入りました。そこで、お刺身や湯葉を食べながら、地酒を堪能していました。とても楽しい時間を過ごせました。
2時間くらい経ったでしょうか。お会計を済ませて、お店を出ようと入り口に向かいました。そこで、問題が発生しました。一緒に行った連れの靴がないのです。見間違いではないかと、僕も一緒に探しました。ですが、やはりありません。これは誰かが間違えて履いて行ってしまったのかも…と思いました。
というのも、そのお店は、履いてきた靴を脱いで入るスタイルのお店でした。通常、靴を脱いで入るお店の場合、靴箱に自分で靴を入れて、靴箱の番号が書いてある鍵を抜いて席まで持っていく、というのが、よくあるパターンですよね?ですが、そこのお店では、入り口で「どうぞこちらで靴を脱いでお入りください」のように言われたので、自分で靴箱に靴を入れることはしなかったのです。その時は「お店の人が靴箱にしまってくれて、帰る時に、玄関に出してくれるんだろうな…」と思っていました。
が、帰りに玄関まで来てみると、、、お客さんが自分で脱いだ靴が、そのまま玄関に置きっ放しになっているのです。これでは、誰かが間違えて履いてしまっても無理はありません。これは、お店のオペレーションに問題があるな…と思いました。が、今は、このお店のオペレーションがどうとか言っている場合ではありません。とにかく靴が見つからないと帰れません。そこで、僕らは近くにいたお店のスタッフに声をかけました。
スタッフは困惑した様子で、「店長を呼ぶので、店内でお待ちください。」のように言われました。そして、僕らはもといた席に戻って待っていると、しばらくして店長らしき人が僕らの席に来ました。事情を話すと、「靴の管理はお客様の自己責任。なので、お店側としては責任を持てない。」というようなことを言われました。さらに、「代わりに、これならありますが…」と、お店の誰が履いたのかわからない、くだびれたピンクのサンダルを差し出されました。
「おいおい、それはないだろう」と思った僕は、「いやいや、それはおかしくないですか?」と聞き返しました。その時、店長が言った言葉が、冒頭の一言です。実際にはたしか、「靴が心配なら、ご自分の席までお持ちください」のように言われました。お店に入る時に、「このお店には靴箱がありませんので、もし心配でしたら、お席までお持ちください。」そのように言われて、ビニール袋でも渡されたのであれば、僕らもきっとそうしたでしょう。でも、そんな言葉はもちろん言われていません。よくも、その一言を言えたもんだな…僕はやや呆れてものも言えませんでした。
その後、警察が来て事情聴取されるほどの騒ぎになりました。そして、最終的にその店長が言った言葉が、「お店としてはやはり靴の弁償はできない。なので、僕が個人的に弁償します。新しく靴を買ってもらえたら、その代金を教えてください。お支払いします。」でした。とても謝罪の気持ちがあるようには感じられません。渋々な感じで印象が良いものではありませんでした。実際、そのお店の料理もお酒もとても美味しくて、連れと「また行きたいね」なんて話をしていたのですが、言うまでもなく、その後、もう二度と行っていません。
別に僕らは、靴を弁償して欲しかったわけではありません。お店の体裁がどうとかではなく、誰が悪いとかではなく、真摯に対応してくれていれば、今後、弁償してくれた靴代の何倍ものお金を使って、何度もそのお店に食べに行ったでしょう。目の前のお客さんを、その場の損得だけで見るか、それとも、いい関係を作って長くきてくれるお客さんになってもらいたいと見るか。その違いだと思います。
ケネディは「普通の人は売上をあげるために商品を売る。でも、億万長者はお客さんを獲得するために商品を売る。」と言っています。そのお店は、まさに前者。真摯に謝罪して、靴代を弁償してお金を支払うのを嫌がりました。結果、その後、何度も通おうと思うほどに料理に満足していたお客さんを一人失ったわけです。もし、このお店の店長やスタッフがケネディのこの教えを知っていたら、きっと違った対応になったのではないでしょうか?そう思うと、僕らはもっとケネディを広めていかなければ…それができれば、こんなふうに間違った対応で顧客を失ってしまうお店を1つでも減らすことができるのではないか…そう思ったわけですが…
このエピソードで僕がお伝えしたかったことはこれとは別にもうひとつあります。それは、「自分は何屋か?」という定義が大事、ということです。
この京都の料理店で言えば、「お客さんに料理とお酒を提供して、いい時間を過ごしてもらうことを売るお店」と定義するのか。ただ「料理を提供するお店」と定義するのか。その定義によって、店長をはじめ、スタッフの接客や働き方も変わってくるでしょう。
この話で有名なのが、接客で有名なホテル「リッツ・カールトン」。リッツ・カールトンは自らの存在意義をこのように定義しています。
『リッツ・カールトンはお客様への心のこもったおもてなしと快適さを提供することをもっとも大切な使命と、こころえています。
私たちは、お客様に心あたたまる、くつろいだ、そして洗練された雰囲気を常にお楽しみいただくために最高のパーソナル・サービスと施設を提供することをお約束します。
リッツ・カールトンでお客様が経験されるもの、それは感覚を満たすここちよさ、満ち足りた幸福感そしてお客様が言葉にされない願望やニーズをも先読みしておこたえするサービスの心です。』
(リッツ・カールトンのウェブサイトより引用)
リッツ・カールトンではこれを「クレド」と呼び、そして、従業員にそれを浸透させるために、従業員は皆、この「クレド」の考え方がまとめられたカードを身につけています。そこには、「従業員への約束」「ホテルのモットー」「サービスの3ステップ」などが記載されているようです。
このクレドによって、リッツ・カールトンではこんな伝説的なエピソードが生まれています。
『アメリカ・フロリダ州にあるリッツ・カールトン・ネイプルズでの出来事です。ビーチ係が、砂浜に並んだビーチチェアを片づけていました。そこにひとりの男性のお客様がやってきて、こう告げました。
「今夜、この浜辺で恋人にプロボーズしたいんだ。できれば、ビーチチェアをひとつ残しておいてくれないか」
時間が来たら椅子を片づけるのが彼の仕事でしたが、そのスタッフは「喜んで」と言ってにっこりと笑い、ビーチチェアをひとつだけ残しておきました。ここまでは、少し気のきいたホテルマンならば誰でもできることです。
ところが、そのスタッフは違いました。彼は椅子のほかにビーチテーブルもひとつ残しておいたのです。そしてテーブルの上に真っ白なテーブルクロスを敷き、お花とシャンパンを飾りました。またプロポーズの際に男性の膝が砂で汚れないように、椅子の前にタオルを畳んで敷いたのです。
さらに彼はレストランの従業員に頼んでタキシードを借り、Tシャツに短パンといういつものユニフォームから手早く着替えました。手には白いクロスをかけ、準備を整えてカップルが来るのを待っていました。
お客様が言葉にされた要望は、ビーチチェアをひとつ残しておくことだけだったにもかかわらず、です。』
(『リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間』より引用)
有名な話なので、あなたも聞いたことがあるかもしれませんね?(ちなみに、リッツ・カールトンでは、このような感動体験を「ワオ・ストーリー」と呼んでいるそうです。)
なぜ、リッツ・カールトンのスタッフは、こんなことができるのでしょうか?それはリッツ・カールトンが自らが何屋であるのか?を明確に定義していること。そして、それをスタッフに浸透させるために「クレド」をまとめたカードを作ったこと。さらに、リッツ・カールトンの従業員は、お客さんのわずかな言葉や態度を見逃さず、先読みをしてタイミングよくサービスを提供できるように、自分の判断で行動することを認められていて、各従業員に「2000ドルの決裁権」を委譲していること。が理由なんだと思います。だからこそ、こんな伝説的な体験をお客さんに提供することができるんですね。
でも、ただ、自らが何屋なのかを定義して、それを記したカードを渡して、スタッフが判断できる権限と決済を認めたからといって、リッツ・カールトンのような伝説的な感動体験が生まれるものでしょうか?同じように自社の理念を掲げている会社は他にもあると思いますが、そのすべての企業のスタッフが、リッツ・カールトンのようなマインドセットと行動を実践していると言えるでしょうか?
実は、そこにはもうひとつ秘密がありそうです。
再びリッツ・カールトンのウェブサイトを見ると、モットーとして「紳士淑女をおもてなしする私たちもまた紳士淑女です」とあります。紳士淑女とは、礼儀正しく、気品のある男女を意味する表現。つまり、「リッツ・カールトンのスタッフであるあなたたちは、紳士淑女をもてなすのにふさわしい、礼儀正しく気品な人たちだ。そして、そうあるべきだ。」と言っているわけです。この言葉がスタッフの自尊心を刺激して、行動を促しているようなのです。
この自尊心が行動する動機になるということについて、セールスライティングの書籍の中でも名著と呼ばれている「アイデアのちから(著:チップ・ハース+ダン・ハース)の中でも、「イラクの食堂」というエピソードの中でこのように紹介されています。
『軍隊での食事は大方の予想通り、味気ない。大鍋でくたくたに煮た料理には、パセリの飾りもない。軍の食事とは要するに「カロリー工場」であり、兵士が任務を遂行するために必要なエネルギーを供給する場所だ。軍には昔から「軍隊は腹で動く」という言葉がある。
だが、バグダッド空港のすぐ外にあるペガサス食堂は、一味違うと評判だ。ヒレステーキの焼け具合は絶妙だし、果物の盛り合わせにはスイカやキウイ、ブドウが美しく盛り付けられている。ペガサスで食事をしたい一心で、わざわざグリーンゾーン(バグダッドでも米国人が多く、警備が行き届いた区域)からイラクで最も危険な道路を通ってやってくる兵士もいるという。
ペガサスの責任者フロイド・リーは、海兵隊と陸軍で25年間、チョリ担当を務めたキャリアを持つ。だが、イラク戦争開戦時は引退していた。彼は、引退生活を捨ててペガサスの仕事を引き受けた。
(中略)
兵士生活が過酷であることをリーは知っている。兵士の多くは一週間に7日、1日18時間働く。イラクでは常に危険に晒されてもいる。兵士たちのためにペガサスを束の間の安らぎを得られる場にすることがリーの願いだ。
彼は指導者としての任務を明確に意識している。「食事サービスの責任者だけでなく、軍の士気を高める責任者でもあると自分では思っている。」士気を高める責任者であるというのは、つまりマズローの欲求段階説(*1)で言うなら、リーは「超越」をめざしているということだ。このビジョンは、スタッフのちょっとした普段の仕事ぶりにも現れている。
(中略)
ペガサスは料理の美味しさで有名だが、注目に値するのは、他の基地食堂と全く同じ配給食材を用いている点だ。他の食堂と同様、ペガサスも軍の定めた21日周期の献立通りに食事を出している。食材の供給業者も同じ。違うのは、その姿勢である。毎日、果物が届くとコックの一人が選別を行う。傷んだブドウの実を取り除き、スイカやキウイの一番美味しい部分を選んで、完璧な果物の盛り合わせを作る。夜には、デザート台に5種類のパイと3種類のケーキを用意する。日曜日に出すヒレステーキは、2日前からタレに漬け込んでおく。ニューオリンズ出身のあるコックは、主菜の味を引き立てるため香辛料を郵送で取り寄せている。デザート担当のコックは、自分の作るイチゴケーキは「官能的」だと言う。
(中略)
毎週日曜、夕食のためにペガサスに来るというある兵士は「ここにいると、イラクにいることを忘れる」と言った。リーは、マズローの欲求段階の忘れられた層に訴えている。それは、「美」と「学習」と「超越」への欲求だ。彼は、食堂の使命を一新する中で、砂漠にオアシスを生み出すという目的に向かってスタッフを奮い立たせている。』
(*1:アメリカの心理学者アブラハム・マズローが、人間の欲求を5段階の階層で理論化したもの。「自己実現の欲求」「承認(尊重)の欲求」「社会的欲求・所属と愛の欲求」「安全の欲求、生理的欲求」の5段階に加え、のちに、一番最上位に「超越の欲求」を定義した。)
イラクの食堂の責任者リーは、自らを「軍の士気を高める責任者」と定義し、マズローの欲求段階説で言うところの「超越」、つまり「他者の潜在能力発揮を助けること」を目指している、ということを明確にしたのです。それによって、スタッフも「超越」の欲求が刺激されて、それにふさわしい行動をするようになった、ということなんですね。
このエピソードは、誰もが安定や高給だけで働いているわけではない。心の奥底にこうした自尊心や他者の潜在能力発揮を助けたいというような高次の欲求が潜んでいる。ということを物語っています。そして、このような高次の欲求が、リッツ・カールトンのように、お客さんの要求に対し簡単には「ノー」と言わず、むしろ期待を上回るサービスを提供することを実現させている、ということなんですね。
さて、あなたも改めて、自分のビジネスは何屋か?お客さんに「__(あなたのビジネスやお店)って__だよね〜」と言ってもらいたいか?それはスタッフのどんな高次の欲求を刺激しているか?ということを考えてみてはどうでしょうか?すでに考えたことのある方でも、今一度考えてみるといいと思います。なぜなら、それは、あなたのビジネスの成長とともに自然と変化していくもの、とも言えるからです。そして、それをどうすれば、あなた以外の他のスタッフに浸透させることができるか?ぜひ、考えてみてくださいね。そうすれば、あなたのビジネスでも、リッツ・カールトンのような「ワオ・ストーリー」が生まれるかもしれません。そして、そんなお店や企業が1つでも増えれば…最初にお話した京都の和食料理店のスタッフのような対応ははなくなっていくはずです。
– 藤岡将貴
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