From:ダン・ケネディ
今回はあなたが今できること、発展的な考えができるようになる方法についてお教えしたいと思います。この考えを取り入れることによって、あなたは何も心配することなくビジネスを進めていくことができるようになりますよ。
ある晴れた土曜日、私はシカゴからクリーブランドへの飛行機に乗って帰宅の途についていました。シカゴ・オヘア空港を時間通り14時40分に出発し、17時15分に到着するという予定で滑走路にて離陸を待っていました。
しかし不運な事にそのフライトは2回も別の空港への着陸を余儀なくされ、7時間もかけた挙句に雪かきも満足にされていない滑走路に必死の思いで着陸することとなるのです。
その後飛行機は吹雪と時速35マイル(56キロ)の強風の中をスリップしながらターミナルから最も遠いゲートに向かいました。飛行機を降りたのが21時20分、その後駐車場までシャトルバスで30分を要し、時速10マイル(16キロ)で自分の車を運転しやっとのことでノースフィールドにたどり着いたのです。
飛行機は飛び跳ねるように揺れ続け、11人乗っていた子供のうち4人は嘔吐。最後の約1時間は水やコーヒーはもちろん、それを飲むカップさえありませんでした。
1996年、私は講演での稼ぎが100万ドル(1億円)を超え、それは当時の私の収入の大部分を占めていました。その講演を成功させるために60日間の下準備に加えて120日間の移動日の合計180日を必要としていました。1年のほぼ半分は空港かホテルに滞在している計算になります。当時は携帯がなかったので携帯に振り回されることがなかったことはラッキーだったのですが。
2004年には、自身がコーチングしているグループからのみの収入で100万ドル(1億円)弱を手にすることができるようになりましたよ。そしてそれは私の全収入のおよそ1/3にあたります。
講演の仕事は私の地元に42日間滞在していれば事足りるようになりました。皆が講演会に来てくれるようになったからです。電話コンサルティングの日なんかは自宅にある居心地の良いリクライニングチェアーに座りながら電話を受けるだけでいいんです。私は意味のない自慢をしたいわけではないのですよ。
あなたの仕事はあなた自身がやりたいようにアレンジが出来るということ、そしてそうするべきであるということが重要なポイントなのです。何度も言いますが、自慢しているのではありませんよ。私ももっと前からやれたはずでしたしね。
私は様々な人々に対してビジネスのやり方を変えるように指導し刺激を与えてきました。彼らが見出せなかった、より良いビジネスチャンスを見つけ出す事もありました。そのチャンスは、いま彼らが全力を捧げているものよりも良いものだった時もありましたよ。リスクも大きかったかもしれませんが、同時に素晴らしいものであったのです。
ご想像とは反対に、意外にも私はあの幌馬車でクリーブランドへ戻るような旅をストレスだと感じなかったのです。今となっては笑い話ですしね。
しかし、毎週あのような辛い思いをすることがなくなったことへの感謝は忘れないようにしようと思います。
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