From:中谷佳正
※今日の話は中谷のプライベートな話です。 マーケティングに役立つ内容は 一切含まれていませんので、 中谷のプライベートに興味のある場合のみ お読みください(笑)
From:中谷佳正
西大橋のスタバより、、、
23歳。最初の就職先を退職。
新卒の看板が無くなった私は、とりあえず、友達の兄貴がやっているポンプ屋でバイトを始めました。タンクローリーから建築の基礎にコンクリを流し込む為の車両。真空ポンプからホースを伝って、先からコンクリを流し込むんですが。ホースの中は、コンクリートが通るためかなり重たいんです。
重労働なので、日銭も良く、真面目に働く私を正社員に雇用してくれようとしたんですが、、、
元々、腰痛持ちの私には一生この仕事ができるか・・・とても自信がなかったので、やんわり拒否していた。
ある日。堺の現場で建築用マスクをして仕事をしていると、、、 全く別の会社の現場監督が私に声を掛けて来た。
「兄ちゃん、エエ目してるなっ!」
これが私の人生の転機になった・・・
「えっ?なんですか?」と私が聞くと。「兄ちゃん、エエ目してるな、現場仕事で終わる人間じゃないやろ!」と
このおっさん(寄田さん)・・・・なかなか分かっとるやないけ〜と思いながら、聞いているとおっさんが続けて「実は俺、別でITの事業してるんやけど、アルバイトしてみいひんか?」と、、、
「興味あるか?」と聞くので私が「そらありますよ〜」
人生の活路を求めていた私は、なんの疑いもなくその話に興味が湧いた。
私、「どなしたらいいんですか?」
おっさん、「12月24日にスイスホテルで説明会があるから19時においで〜。スーツで来なあかんで。」
ここまで読まれた勘のいいあなたは、これが何の誘いかもう分かられたと思います。
しかし当時の私は、そんなネットワークビジネスに誘われた事もなく。初体験だったので、履歴書を持って、当時の彼女(今の嫁)の食事の約束を断り、大阪のホテルへ向かった。
そして、399,000円でFAXを買いそこから壮絶な貧乏生活が数年スタートしたのです。
FAX代は、もちろんローンを組み唯一の資産だったアメリカンバイクを手放し、兄貴のスーツを借りて、稼げもしないネットーワークの仕事をしまくった。夜遅くまでのミーティングで疲れ果てお金も人脈も誠実さもない私が、稼げるはずもなく。
兄貴のスーツと気合いだけが私の唯一の武器。「成功したい」という漠然とした欲と、自分自身の行き場のない不安の中で、1日アンドーナツ1つだけという食事でなんとかシノぐ毎日。寝不足とストレスで日中に休む場所が確保できなくて、彷徨っていると横になれるスペースを見つけた。横にはいつも先輩の浮浪者が、、、、
拾って来た、クリームパンとコンビニのスパゲティーを食べていた。
俺はスーツを着ているけど、この人達よりヒドい生活をしているな・・・と思いながら、昼寝。もうちょっと気を抜けば、この一線を越えてしまいそうでとても怖かった記憶があります。
何もない私。あるのは必要のないプライドだけでした。
出来ない自分を認めるまで2年半もの歳月が掛かったのですが、人に対して、仕事に対して、スキルに対して仕事に対して、自分に対して、真正面から向き合い始め真摯に仕事をし出してから次の転機が訪れました。その話はまた後日。
現在、36歳。当時の彼女と結婚し、2児の父になり、ビジネスもプライベートも充実した毎日。決して、あの時の自分に戻りたくないと思います。
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