From 西原 智
それは今から443年前の戦国時代。当時の岐阜近辺は「井野口」という地名で、稲場山城というお城が建っていました。今の岐阜城です。そこに、かの有名な織田信長が、「義親父である斉藤道三の仇を討つ」という大義を掲げて攻め入りました。見事稲葉山城を攻め落とした信長は、尾張から美濃に拠点を移しました。それと同時に「井野口」と言う地名を新たに変えたのです。その地名こそが「岐阜」です。
ここまで聞くと単なる歴史話で終わりですね。でも、なぜ信長は「岐阜」と言う地名にしたのか?実はここに深い意味が含まれているのです。実はこの地名、元々は日本の地名ではありませんでした。信長が意図的に中国から持ち出した名前なのです。
周の武王と信長
はるか昔の中国で、黄河の上流にある「岐山」という山がありました。この山の麓で興ったのが周の武王で、広く民を愛したことで知られ、その逸話は今でも中国で尊敬を集めています。実はこの古代の名君の生まれ故郷にならい「俺は日本の海賊王……」じゃなっかた。「周の武王になる!!」と宣言し、つけられたのが「岐阜」だったのです。
このネーミングは「俺が日本統一をする」という意思表示の表れで、ようするに日本統一というPRになったわけです。なかには「何を戯けたことを」と嘲笑う武将もいました。しかし、この地名のとおりどんどんと政治改革をなしとげていったのです。
500年たった今でもずっと残っている「岐阜」という地名。すごいと思いません?そんな長くずっと使われるネーミングなんてそうそうないですよね。斉藤一人さんの「スリムドカン」ですら、まだまだ知らない人もいるのに。
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今週のテーマは「ネーミング」です。
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―西原智
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