From:ダン・ケネディ
From:ダン・ケネディ
起業家のための「独創的思考セミナー」で、私はあることに思い至った。はっきりしないバロック音楽のコンティヌオ(通奏低音)のような感覚が、突然くっきりと研ぎすまされた意識に変わったのだ。
自分が観察したり、ふと耳にしたり、読んだり、見たり、経験したりしていることを、自分のスモール・ビジネスの売り込みとつなげて考えない人はとても多い。スタートの時点からいつも無意識のうちに(あるいはやむにやまれず?)、価値あるアイデアをさがし続けることもしないし、次のステップに進もうともしていない。アンテナを張っていないときが多いように思えるのだ。
たとえば、業界誌やこの文章を読んでいるとき、あなたはたぶんアンテナを張っているだろう。だが、どこかの待合室で、『ローリング・ストーン』、『シガー・アフィシオナド』、『ファミリー・サークル』といったまったく無関係な雑誌を見ているときには、アンテナを頭のなかに格納し、漫然とページを繰ってはいないだろうか。何かをもぎ取ろうとか、メモを取ろうなどとは思わず、ただ暇をつぶしているだけではないだろうか。
そこで思い出すのが(アメリカの)古いコメディ番組「ボクの好きな火星人」である(のちに出た「モーク&ミンディ」や「アルフ」はずうずうしいまでの盗作だ)。「火星人」の頭にはアンテナがあって、時と場合によって突き出たり引っ込んだりする。
セミナー参加者たちはクリエイティブな実習を楽しんではいたものの、そこから何かを引き出せとか、それを翻案しろといわれると、自分のビジネスに使えるアイデアがなかなか出てこない人が多かった。
状況に応じてアンテナが出たり隠れたりしている人がほとんど、ということである。私や、私の主な仕事相手であるレネゲイド・ミリオネア(非常識なほどの億万長者)たちは常にアンテナを張っている。
「1分たりともビジネスのことが頭から離れないのか?」と私たちは言われる。
「何をするにも、どこへ行くにも、批判の目で見ずにはいられないのかい?」とも。
「改善のプランを立てずにはいられないのかい?」とも。
そうだ。そうせずにはいられない。
選べるような問題ではないと思う。乳糖不耐症やゲイやブロンドが選べないのと同じように(いや、ブロンドならどうにかなるかもしれない)。まあ、この手のことは遺伝的特徴というより条件づけの問題なのだろうが、それでも選ぶか選ばないかという次元の話ではないと思う。
だから私たちには選べない。正直に言おう。もし選べるという人がいるなら、起業家として並はずれた成功を遂げたいという野望を持っていても実現は無理だ。
私たちのような人間には困った欠点がいくつかある。まず、遊んでいても完全にリラックスできないし、我を忘れることもできないという点。
それから、良いアイデアが手にあまるほど出てきてしまう点。おかげでイライラしたり、あれもこれもやらなくてはと自分に課してしまうことがある。さらに、身近な人を困惑させてしまう点。
友人とのディナーの真最中にこそこそトイレに行ってメモを書いていては(外出時には必ずメモ持参だ)、望まずとも相手に気づかれてしまう。料理の運ばれてくる合間に3度トイレに立ったときなどは特にだ。
それとわかるように常時アンテナを張っているなんて、他人にしてみれば迷惑な話である。でも、こっちだってピクニックをしているわけにはいかない。まあ、ときには帽子くらいかぶってカモフラージュするのが良いとは思うが。
とはいえ、こういうやり方にはものすごいメリットもある。私たちをリッチにしてくれるアイデア、思考、インスピレーションの大半はそこから生まれているのだから(富を生み出すアイデアは、そうそう都合よく手に入らないということだ)。
アンテナを立てておけば、人より高感度でいられるだろう。用心深さ、気づき、高感度であることがすべて同じ1つのことを意味するのなら。
ちなみに、とほうもない独創性で大成功を遂げた人の行動には、ことごとく共通する欠点があるものだ。
こんな人間を「アンテナ強迫神経症(antenna-always-up behavior obsessive)」と呼ぶ輩もいることだろう。映画のタイトルを借りれば、さしずめ「偉大なる妄想(原題Magnificent Obsession、邦題「心のともしび」)」とでも言えそうだ。この性分に「偉大なる妄想」という名を与え、守り、称えなくはならない。選択の余地はないのだから。
さあ、アンテナを立て、しっかり固定しておこう。あなたのようなアンテナを授かっていない変人たちを憐みの目で見てやるのだ。
−ダン・ケネディ
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