From:ダン・ケネディ
From:ダン・ケネディ
アート・ピアーソンには、鼻持ちならないソフトウェアやウェブサイトなど必要ありません。
その通り、フラー・ブラシ・マン(掃除用具を売っているフラー・ブラシ社の訪問セールスマンのこと)はまだ存在するのです。
フラー・ブラシ社の商品は今では、
Home Shopping Network(ホームショッピング・ネットワーク=アメリカのテレビ局)かカタログで、あるいは、タッパウェアのように、空いた時間に販売員が開くホームパーティで買うことがほとんどですけど。
それでもアート・ピアーソンは、フラー・ブラシ・マンとして、
70年間フルタイムで訪問販売を続けています。
もしあなたが40歳以下なら、たぶん、アートみたいな人は見たことがないでしょう。
フラー・ブラシ・マンやクック・コーヒー・マン、
チャールス・チップス・マン、シールテスト・ミルクマン
なんていう人たちのことは知らないでしょう。
彼らは、各家庭のドアをノックして回ることで、
配達や、販売のルートと顧客の開拓をしていました。
週に一度、2週間に一度、あるいは月に一度、
前もって注文してあった商品の他に、
他の商品も見せて、実演して売るために、
大きなトートバッグ一杯に注文品以外の商品も入れてやってきました。
私が入った時のアムウェイは、
飛び込み営業などのマルチレベルの販売活動をしていて、
まだいくらかフラーに似ているところがありました。
その頃、アムウェイのディストリビューターの多くは、
「アムウェイ」という大きなロゴの入った白いバンや
ステーションワゴンをもっていました。
でも、私はもっていませんでした。
それでも私には、16歳の時に100人を超える固定客がいました。
彼らは、月に2,500ドルから4,000ドルの商品を私から買っていました。
前もって何を買うか決めておいて、
毎回それを届けていた人もいたし、電話で注文する人もいました。
注文の商品を届けたときに他の商品を玄関先で実践販売したら、
買ってくれたこともありました
(いいですか、1971年の「4,000ドル」の価値は今より大きかったのですよ。
その倍の値段を払えば新車が1台買えたのですから)。
アートには、いつも彼から商品を買っている顧客が4,000人以上いました。
10 x 15cmのフィラー・カードが4,000枚、友達が4,000人、ということです。
アートは6桁の年収を稼いでいます。そして、これまでも今も、よい暮らしをしています。
これは、日常的に、玄関に鍵をかけず、
コーヒーポットのスイッチを入れたままにしていた人がたくさんいた時代、
裏庭から入って行って「すみません、誰かいませんか?」と大声で声をかけていた時代の話です
(セキュリティシステム導入している家などありませんでした。
そんなものを導入していたのは銀行だけでした)。
配達の日に外出する顧客は、
現金の入った封筒をテープで玄関に貼り付けてから出かけました。
私はおつりを計算し、玄関を開けて、商品とおつりを中に入れました。
ある女性の顧客は、仕事で毎日、家を開けていて、
玄関に鍵をかけて仕事に出かけていたので、あらかじめ私に鍵を渡してくれました。
私は、その顧客の家に行って、中に入ると、戸棚の中に注文の品を入れ、
犬の頭をなでて帰りました。たまに「犬にえさをあげてください」というメモがあったので、
そういうメモを見たときは、犬にえさをあげました。
携帯やパソコンでEメールを送っている今とは、ほど遠い方法です。
「でも、こうしたテクノロジーの進歩のおかげで社会も発展したのですよ」
と言われたって、私は納得しませんよ。
近所に、1971年当時の私の顧客がたくさん住んでいた地域があります。
その頃はみんな玄関の鍵はかけなかったし、
車はロックしないでドライブウェイにとめたままだったし、
歩いて近所の人に会いに行ったりしていました。
でも、先日、その地域に住んでいた女性が散歩の途中で
コカイン中毒者に岩で殴られ亡くなりました――たった10ドルのために。
きっと今、その地域に住んでいる人たちはみんな、
玄関の鍵を締め、家の中に閉じこもり、思い切って外部の人と接触するのは、
携帯でメールを送る時だけという状況になっていると思います。
今回の大統領選挙戦では、「過去は捨て去り、前進しよう」
ということがよく言われていますけど。
私は逆に、過去に戻った方がいいかもしれないと思っています。
アメリカは、実にいろいろな意味で、
20年、30年前よりも、貧乏で、社会慣習をまもらない、
住みにくい国、称賛されることの少ない国になってしまったからです。
私の孫たちの家には目を見張るようなテクノロジーが溢れていますが、
彼らはその中に囚われています。外で鬼ごっこをすることも、
「近所で散歩するか、森で遊んでらっしゃい。
でも、暗くなるまでには帰ってくるんですよ」
と言われることもありません。
孫たちは、大人が用心深く見守っている時だけ家の裏庭に出て遊び、
シャトルバスで送迎されて、監視つきのアクティビティに参加しています。
これは、裕福な高所得者が住む、裕福な郊外での話です。
私が子供の頃は、プラズマテレビも、コンピューターも、
コンピュータールームもなかったけれど、
生活全部を隅から隅まで心配そうに常に管理されることもありませんでした。
私の子供の頃は、家の下にあった古い石炭入れを使ったり、
家から400メートル離れたところにあった大きな砂山や松林で遊んだり、
近所中を自由に歩き回ったり、自転車を乗り回したり、
開いた玄関から他の子の家に自由に出入りしたりしていました。
私や友達が鼻血を出すこともよくあったし、
くすねてきた雑誌を持ち込み、
水着を着た近所の女の子2人にバニーガールの役をさせ、
納屋で実際に「プレイボーイクラブ」をやっていたところを見つかったり、
スーパーマンのマントをつけて屋根から飛び降りて、
「マントをつけてもスーパーマンにはなれない」ということを
学んだりなどという経験もたくさんしました。
それに、クック・コーヒーのセールスマンがやって来た時に家にいて、
彼がセールスして母がいろいろなものを買う様子も見ていました。
孫たちに比べると、いい子供時代だったと思います。
とにかく、フラー・ブラシ社は1906年の創業で、
1960年代は、アート・ピアーソンみたいな
フラー・ブラシ・マンが大勢いて、
アメリカ中の10軒に9軒の家庭を回っていました。
どの時代でも、どんな業種でも、
これほどまでの市場浸透率を達成した会社はありません。
有名人でフラー・ブラシ・マンだった人には、
ディック・クラークやビリー・グラハムなどがいます。
フラー・ブラシ・マンを扱った映画も2本あります。
1本は、レッド・スケルトン主演の「スケルトンの就職活動」、
もう1本は、ルシール・ボール主演の
「The Fuller Brush Girl(フラー・ブラシ・ガール)」です。
女性が家を出て、働きに出かけ、
子供を託児所に預けるようになると、
家にいてフラー・ブラシ・マンを出迎える女性がどんどんいなくなり、
セールススタッフの人数は減り、
会社は不本意ながら他の販売方法を採用するようになりました。
でも、アートは、いまだに、いつもジャケットを着てネクタイを締め、
プレスしたズボン、ピカピカに磨いた靴をはいて、
顔には微笑みを浮かべ、きちんと定期的に自分の顧客を訪問しています。
成人した息子さんの運転する車に乗って、ですけど。
そして63歳になるアートの息子さんは、
アートが続けられなくなった時には
仕事を引き継ぐことを考えています。
アートのセールスについて簡単に紹介しました。
「この驚くべき小さなパッドには、
1.8メートルを超えるステンレススチールが入っているので、
さびることも、お使いのコンロに傷がつくこともありません」
「ウィスコンシン州にお住まいで、
30年も前からこれを愛用していらっしゃる、
エリザベス・ジューキッチさんの感想をお読み下さい」
「今日はどのギフトをお求めですか」
フラー・ブラシが数十年に渡って牽引してきた
ダイレクトセールスという業界は、
マルチ商法(別名、ネットワークマーケティング)
とダイレクトマーケティングの両方を生み出しました。
印刷された広告、ダイレクトメール、ラジオCM、
そして後にテレビのインフォマーシャルなどを使った
初期のダイレクトマーケティングはすべて、
媒体を使った直接販売で、
ほとんどすべて、直接販売の経験のある人たちが作っていました。
初期の頃はあらゆる類の広告も、
大半は、同じルーツをもっていましたが、今はまったく違います。
でも、こういう経験がないと、
セールスやマーケティング、ダイレクトマーケティングの仕事や
ビジネスをやる際にかなり不利になります。
最近は、大企業を含む多くのダイレクトマーケティングの優良企業が、
鼻と鼻、つま先とつま先をつきあわせたり、
台所のテーブルでセールスしたりといった経験がゼロの、
大卒のアホ・セールスマンのせいで破産しています。
私なら、MBAを取得した大卒ではなく、
年取ったアートに会社のマーケティングをまかせます。
アートのような人たちが理解していて、
小規模ビジネスのマーケッターたちのほとんどが理解していないことがあります。
それは、「とにかく重要なのは顧客との関係」だということです。
大事なのは、商品や価格、ライバルではなく
ついでに言えばテクノロジーでもないということです。
大変な時期にビジネスが倒産しないでいられるのも、
よい時期にそのビジネスを繁栄させるのも、
何よりも、そのビジネスの経営者、セールス担当、
そしてスタッフと、顧客との関係なのです。
この資産なしにビジネスを構築するということは、
砂の上の脆弱な土台の上にビジネスを構築するようなものです。
それに、顧客を「訪問」し、
顧客の台所のテーブルにつく方法を知らないなら、
あるいはソフトウェアのシステムを使わなければ、
お得意様の人生に起きた出来事を思い出せないと言うのなら、
また、お得意様と自分とを関連付けられないし、
お得意様も自分とあなたとを関連づけられないのであれば、
たとえ一日に2通Eメールを送ったとしても、
あなたは助からないかもしれません。
アメリカのビジネスは、
ずっと前から不必要なものや弱者を
排除して整理するべきだったのですが、
今やっと、これを始めたところです。
これは、今後何か月も続くでしょう。
こういうことを全然知らない人、気にもとめない人、
こういうことを活用して儲けようとする気のない人が
経営する最悪の会社は、規模が縮小するか、消えてなくなるでしょう。
そうなったら、こういう経営者は、ガス料金や不景気、
ウォール街などのせいにするでしょうけど、
そういう弱い会社になったのは、本当は自分のせいなのです。
顧客との関係を重視して構築された、
真の小規模ビジネスの隆盛と復興はすぐそこにあるのに。
GKIC(Glazer-Kennedy Insider’s Circle)で発行している
インフォマーケティングやコピーライティングについてのニュースレターの中で、
私は、自分の出版事業を、出版事業のようにではなく、
どちらかと言えば地元の食堂のように
(つまり、私はカウンターの後ろにいて、
カフェのカウンターで話すようなことを話すように)、
あるいは、顧客の家に立ち寄り、
商品を届けて、レモネードをいただきながら、
庭で芝生を刈っているご主人の側に行って
「こんにちは」と声をかけ、犬が取ってくるようにと棒切れを投げる、
そんな毎月の「訪問」のように、経営しようとした、と書きました。
こういうことこそが、セールスで最も大事なことなのに、
こういう大事なことはなくなりかかっているし、
今後も復活することはないだろうと思います。
でも、「未来に戻る」準備ができていて、その気もあり、
洞察力に溢れ、頭の回転の速い人たちが、
こういう大事なことを活用すれば、
計り知れないほど大きなチャンスになります。
そういう人たちには、今以上に素晴らしいビジネスと人生が待っています。
ダン・ケネディ
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