頭がい骨のかけらを素手で持ち上げた瞬間、
体中に電流が走ったように、“ビクッ”としました。
3時間前
故人の周りには、生前大好きだったたばこやお酒・お菓子
そして、着ていた洋服などが置かれました。
そして、親戚・縁者の手によって、
白色のカサブランカ黄色い菊ピンクのカーネーション白いアレクサンドリアのユリなどの
綺麗な花々で周りを埋め尽くされていきます。
その様子は、お花畑でぐっすりと眠っているようです。
本当に幸せそうなお顔をされています。
娘たちや孫たちが泣き続けているためでしょうか、
1つ作業が終わるたびに、
「火葬場につきますと、もうお棺を開けることができません。いまのうちに、お顔をご覧ください」
という声が、何度も何度もかかります。
お棺の蓋が運ばれてきて、顔の部分の扉が閉じられようとしています。
本当に、最後のお別れです。
もう一度、幸せそうなご尊顔を拝見し、合掌。
扉が閉じられました。
兄嫁の父である故人とは、結婚式の際に、
一度、お会いしたことがあるだけです。
お酌をさせてもらいにいくと、嬉しそうにニコッとされたお顔がとても印象的な方でした。
元料理人であった故人は料理もご自身でされており、
新鮮な魚を3枚におろし、お孫さんたちに新鮮な刺身をよく食べさせていたようです。
そのおすそ分けで、わたしも一度、本マグロのトロを
ひとかたまりドカッと頂戴したことがあります。
お寿司屋さんで、かたまりを見たことがあるとはいえ、
こんなにも大きいトロのかたまりを見たのは初めてだったので、
とても嬉しくて、大感激しました。
もちろん、かたまりを見たことが嬉しかったわけではありません。
言うまでもなく、大トロを山ほど食べられるという喜びで感激していました。
お味のほどは。。。
もちろん。大変美味しかったです。
あんなにもぜいたくに大トロを食べたのは、生まれて初めての経験でした。
そんな楽しいエピソードを思い出していると、
あっという間に車は、目的地である火葬場に到着しました。
最近建て替えられたばかりのような火葬場は、
大変大きく開放感のある建物でした。
黒色を基調とした意匠は大変荘厳で、重々しさを感じさせます。
そんな建物の一室にお棺がゆっくりと運ばれていきます。
それにしたがって、われわれもまた、ゆっくりと進んでいきます。
もちろん、お棺の扉が開くことはなく、実に淡々と動き、最後のお別れの部屋にやってきました。
お坊さんが読経を読み上げる中、
喪主のみが、火葬の場所に案内されていきます。
合掌しながら、その様子を見ていました。
2時間後、
お花畑でぐっすりとお眠りになられていた故人が、姿を変えて現れました。
人の面影はもはやなく、白い骨だけの姿にになってしまっています。
わずか2時間で、このような姿になってしまう。
火葬前の姿がとても穏やかだっただけに
あまりの変わりように、衝撃をうけました。
白い骨を前にして、火葬場の人が、
故人の骨を1つ1つ説明してくれます。
頭がい骨のど仏足の指大腿骨肋骨肩の骨手のひら
・・・
骨の太さや大きさから故人の様子を話してくれています。
説明の後、
のど仏と、頭がい骨をそっと台の上に置き、
「残りの骨をどうぞお取り下さい」と箸を渡されましたので、
順に、箸を使って、骨を拾い上げ骨壺に入れていきました。
大方の骨を拾い上げた後、
「最後に、頭がい骨を素手で骨壺にお入れ下さい。」と言われました。
「えっ、素手で???」
正直、生まれて人骨を素手で触ったことは、一度もありません。
本当に触って良いの?触っても壊れない?どんな感触なんだろう?
もう、ドキドキです。
しかし、躊躇していても、順番は回ってくるものです。
ついに、わたしの番が来ました。
テーブルに近づき、テーブルの上の白い骨に、右手をそっと近づけました。
頭がい骨のかけらを素手で持ち上げた瞬間、
体中に電流が走ったように、“ビクッ”としました。
“軽い”
予想外の軽さに驚きです。
少し力を入れると粉々に崩れそうなので、
右手だけでなく、あわてて左手を添えました。
火葬の後のためか、軽いだけでなく、ほんのりと温かみを感じます。
また、なめらかそうに見えた表面も、まるで素焼きの植木鉢のように、意外とざらざらでした。
“これが本物の骨なんだ”と初めて実感しました。
そして、そのまま、丁寧に骨を運び、そっと骨壺の中にいれました。
その間、一分もかからなかったと思います。
しかし、
頭がい骨のかけらを手にしている間、ずーと話しかけられているような気がしました。
人の体は、2時間も火葬すると、完全に白骨化する。
そして、白骨化した骨は、少し力を入れるだけでくずれそうなぐらい軽くてもろい。
儚い一生。
好きなことをしていても、嫌なことをしていても、
結局、最後は、軽くてもろい骨だけになる。
だから、やりたいことをすればいい。
最近、
現状のままでいいのだろうか?これからどういう生き方をしようか?残りの人生をどう過ごそうか?
色々と悩んでいました。
でも、最後は、どうせ骨になる。「だったらやりたいことをすればいい」
無口で人見知りをされる故人とは、ほとんど話をしたことがありません。
が、最後に、文字通り身をもって教えていただいたような気がします。
ありがとうございます。本当にありがとうございます。
これからも、やりたいことにどんどんチャレンジし続けます。
どうか安らかにお眠りください。
ー中森清久
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